釣行前夜、必死でフライを巻いていた。そう、明日活躍するであろうテレストリアルのフライボックスがスッカスカだったのだ。しかし、睡眠も取らねばならないので、フライは16番のブラックアントに絞り、これを10本巻く事にした。巻いている最中、背後が妙に気になり振り返ると、バンブーロッドが壁にぶら下がっている。そうだ、今年、まだ1回も使っていなかったっけ。よし、明日は、このバンブーで南アルプスのヤマトイワナを調査しに行こう。そうなると奥に入るから早めに出ないと行けない。結局3時間ほどしか睡眠が取れなかった...。
登りは涼しい時間帯にこなすのが、この時期は一番いい。夜も明けた頃に車を置き、ヤマトイワナを求めての登りを開始した。前日の雨の為、道がぬかるんでいるのか足取りが重かった。寝不足も影響しているかもしれない。呼吸も少し荒い。いつもよりも時間をかけ、南アルプスのとある沢への入り口に到着した。Tシャツは汗でびっしょり。日頃の運動不足を痛感する。
ザックからゴアウェーダーを取り出し、暑いが仕方なく履く。ここの渓ならば、ダクロンとかの速乾性素材のパンツにスパッツとウェーディングシューズで丁度いいかもしれない。そして、胸にはチェストパック。ん〜夏のFFマン。でも、ちょっと今は、資金不足。来年だな。
7フィート3番のバンブーを継ぐ。久しぶりに味わう竹の感触。重い。最近、特に軽量のグラファイトにどっぷりだったので、やたら重く感じる。バンブーラインをガイドに通し、ティペットの先には、昨夜巻いた16番のアントを付ける。
久しぶりに振ったバンブーは、やたら癖が強く感じた。7フィートと短いのもある。ループが乱れている。しかし、3分もしないうちに、この癖を体が思い出したようだ。そう、バンブーは気負って投げるものではない。全てをバンブーに委ね、ゆっくりとそして自分の呼吸がそのリズムに同期した時、初めて美しいループが形成される。このロッドで釣りをしていると、乗っている時とイライラしたり焦ったりしている時のループは、全く違ってくる。バンブーは生き物なのだ。
気持ち良くポイントにフライが入った。そして、イワナが飛び出す。20cmちょっとのイワナかな。バンブーを通しイワナの動きが手に伝わってくる。これが、バンブーの心地よさなのだ。このイワナには悪かったが、少し感触を長く楽しませてもらった。このロッドの場合、リーダーティペットの長さをしっかり調整すると、自分でもビックリするほどの精度でポイントに打ち込む事が出来る。まさに山岳渓流向けの1本と言えるかも知れない。
堰堤を巻き河原に出る。日差しもだいぶ上から射し込んできている。ちょうど8時を回った頃だった。今日は暑くなりそうだ。川は、渇水している。河原の割に流れは細い。高度計は1450mを差す。イワナしか生きて行けない過酷な環境。水通しの良い場所を狙い、キャストを続ける。ヒラキでのんきに泳ぐようなイワナはいない。皆、石の影に身を潜めているのだろうか。なかなかイワナが出ない。帽子を通し汗がつたって来る。唯一の救いは、木陰に入ると別世界のように涼しい事。木陰があると休み休み、ゆっくりと釣り登った。イワナは全く出ないが、この山奥に自分一人という孤独感を楽しんでいた。しかし、2時間もこんな状態が続くと精神的にも体力的にも疲れが出てくる。もう、この沢にはヤマトイワナは、いなくなってしまったのだろうか。今回の釣行が最悪の結果を私に突きつけるのか....。
午前10時半、沢が二股に別れる。落差のあるA沢、そして、木に覆われたB沢。A沢の方へ登って行く。石を足掛かりにして大石を乗り越える。呼吸も荒くなる。流れが更に細くなり、イワナの着きそうな場所は限られてくる。今までにも、この辺りはいいイワナが出ているので、立ち位置、プレゼンテーションは細心の注意が必要だった。
落ち込みの下の石の影。酸素量も確保しつつ、隠れ家となる。いるとすればここしかない。ポイントとの距離を置き、静かにプレゼンテーション。10cmの狂いも許されない状況。石にフライをぶつけ、ポトっとアリが水面に落ちた様に演出する。その直後、石の影で激しく水飛沫が立つ。んっ、デカイ。
バンブーがしなる。石の下に潜り出てこない。倒木が出ているので、これに絡められると厄介だ。近づき、ティペットを擦らないように、水にロッドティップを突っ込みイワナを引き出す。今日、このバンブーを持ってきて正解だった。トルクのあるバットとしなやかなティップが、イワナの動きを抑制できている。よし、出てきたぞ。竿を立てイワナを水面に上げてくる。いいイワナだ。ネットを出して、ランディング。ヨシ!。
ネットに横たわるのは、全てがパーフェクトなヤマトイワナだった。メジャーを充てる手が震える。足まで震えている。28cmだった。 手の震えが抑えられない、手ぶれもしているかもしれないので、デジカメでの撮影は、10枚程に及んだ。良型のヤマトイワナとの出会いは、いつも突然やってくる。そして、未だにドキドキさせられてしまう。他の川でもヤマトイワナは釣っているが、この沢のヤマトイワナは、疑う余地の無い純血種なのだ。ここのヤマトイワナには、太古より脈々と受け継がれた、イワナの本来の遺伝子の存在を感じずにはいられない。私は、この1尾のヤマトイワナに出会えるならば、きっと辛い事も平気なのだろう。長い登り、暑い日差し、喉の渇き、そういった苦労が全て吹き飛んでいる。もう、帰ってもいいと思えるほどに心は満たされていた。
ネットの水を切り、キーバックチェーンに付ける。上を見ると、こんな感じのポイントが続くように見受けられる。もしや、この区間にイワナが溜まっているのかも。釣り師の感と釣欲が沸き上がってくる。大石を乗り越えると、同じ様な小さな淵があった。ここもいるはず。フライを新品のアントに換え、万全を期しティペットも6Xとした。 そして、先程と同じように慎重に落ち込みの下の石影にフライを落とした。また、激しい水飛沫が上がる。これもデカイ。小さな淵を暴れまわり、石の下に潜り込んだ。またしてもやられた。良く見ると、石と石の間にティペットが挟まっている。淵に入って行くしかない。一旦テンションを緩め、挟まったティペットを外そうとした時、イワナが石の影から飛び出してきた。6Xだから、大丈夫そうだった。イワナを岸まで追いつめ、ネットですくった。これもいい型のヤマトイワナだった。
先程のより黒みが増し、これもなかなか迫力がある。27cmだった。2連発の良型にまたしても、足が震えている。しかし、いつ見てもこの沢のヤマトイワナは美しい。
2段ほど石を越えると、またしても同じ感じの小さな淵がある。ここもいる。慎重にプレゼンテーション、20cmほど落ち込みの下に落ちてしまう。ミスキャストだ。 でも、不用意にピックアップは出来ない。静かに下流にフライが流れて行くのを待つ。その時、水面が少し乱れたと思ったら、フライが消えた。無意識にアワセを入れる。バシャバシャっと激しい水飛沫。良く見ると、もう1尾も狭い淵の中を暴れている。このポイントには、2尾のいヤマトイワナがいたのだ。でも、どっちにしてもこの状況では、2尾とも釣る事は不可能だった。このイワナは、問題なくランディング出来た。今までのに比べれば少し細いが26cmほどありそうだ。あまりに暴れるので写真を1枚取り、早々にリリースした。
その後はイワナの着きそうな場所もなかったので、落差のあるA沢を詰めるのを止め、B沢に入る事にした。
B沢は、木に覆われ体感的にも涼しい。今まで目にしなかった、10cmほどのヤマトイワナの稚魚が群れている。20cmくらいのヤマトイワナもヒラキを悠々と泳いでいる。あの厳しい環境のA沢とは対照的に、B沢のイワナ達はのんびりとしているようだった。
フライを落とすと、すーっと寄ってきて、パクっとフライを口にする。まだ、釣られた事にすら気がついていない様子。こっちが、ゆっくりアワセを入れると、やっと釣られた事に気が着き途端に暴れだす。プレッシャーが全く無いイワナとは、こうも簡単に釣れてしまうものなのだ。
この沢では、わずかの時間に22〜20cmのヤマトイワナが5尾釣れた。どれものんびりして、お気楽に泳いでいる奴ばかりを狙った。
時計を見ると上がらなければならない時間。もう少し奥を探ってみたいが、次回に持ち越しだ。少し小雨がパラついている。あれほど天気が良かったのに、山の天気は変わりやすい。車への戻り道、一時的に雨が強まり、びしょ濡れになってしまった。
私が考えるA沢とB沢の関係はこうだ。B沢は、木に覆われ、外敵にも襲われ難い。水は少ないなりにも生息環境はイワナ向きである。稚魚が豊富にいた事もあり、きっと種沢に近い役割を果たしていると思われる。で、大きくなった成魚は、この環境を小さいイワナに譲り、厳しいA沢に出て行くのではないだろうか。また、A沢は、渓相からしても荒れやすい川だと思う。この過酷な条件を生き抜いて、よりたくましく成長したその遺伝子をこの沢のヤマトイワナ達は代々受け継いでいるのではないだろうか。
この厳しい生息環境の中でなんとか生き続けているヤマトイワナを想うと、なんとも切ない気持ちになってくる。今年のこの沢のこの区間での探釣は、昨年よりも個体数の減少を感じずにはいられない結果となってしまたのは、実に残念である。この減少の原因は、釣り人のイワナ捕獲以外の何物でもない。ここのイワナの価値をもっと多くの釣り人が理解して欲しい。ただただ願うばかりである。
A沢、B沢は、実は、まだ奥があり、南アルプスの山頂を水源としている。昨年は、A沢をかなりの距離まで詰めたのだが、川の荒れが酷く、魚影を確認できなかった。B沢の奥にはイワナがいると地元の釣り師から聞いた事がある。B沢の奥はもしかすると、ヤマトイワナの聖域が存在するのではないだろうか。今回の探釣でその想いをさらに強くした。ただ、一人でB沢を詰めるのは、地図の等高線を見る限りでは、危険な気がする。次回のB沢探釣は、慎重に計画すべきである。
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